草原にいる

雑文を書きます。

ワークショップに参加した

 先日観た『丘の上、ねむのき産婦人科』を演じてみようという会があったので参加した。

 自分が演じたのは、カップルがコメダ珈琲で子供を産むべきかどうか議論する場面。女性側は日本の暗い未来の中に子供を放り出すべきではない、自身の生い立ちを理由に、生まれてきた子供を愛せないと出産に否定的な立場をとる。対する男性側は、人生は幸せなものであり、二人の間の子供がほしいと主張する。

 観劇時点では、自分はどちらかというと女性の側に共感し、人生のすばらしさを熱く語り、かつそれを女性に押し付けてくる男性に「きれいごとなんか言っちゃって」と冷めた印象を持っていた。だからこそ自分は、男性の役を演じることにした(演じるのは性別に関係なく誰でもよかったため、自分が共感している女性の役を演じることもできた)。人生とは楽しいこともあるものの、総じて辛い経験の連続であり、こんなことを子供に押し付けるべきではないと自分は考えていた。「自分は幸せだ」と叫ぶ男性は何を感じ、何をもってそう言えるのか。それが知りたかった。

 男性は過去にうつ病を患った経験があるものの、セリフの様子から明らかに「ネアカ」であり、今は人生を謳歌して幸せを心の底から感じているような、自分が幸せなことに自信を持っているような人間である。僕とはかけ離れた存在だと思っていた。

 しかし、戯曲を細かく見ながら演じてみて分かったのは、彼は「自分が幸せだ」というのを「頑張って」言っている。

 楽しいしかない!人生最高!とただ叫んでいるのではなく、時には挫けそうになりながら、より良く生きるために精一杯、歯を食いしばって「幸せだ」と叫んでいる。信じようとしている。

 自分と彼とで、根底の部分はあまり変わらない。自分の場合はそれをよく考えずに辛がっているが、彼は楽しいことがあろうとも、苦しいことがあろうとも前を向こうとしている。

 その方が良いってわかっている、分かっているんだけどなあ。