草原にいる

雑文を書きます。

夜明けの景色

 湿った草の感触が足に爽やかである。

 霧が深い。


 湿った空気を触る。湿った空気を吸い込む。草も、土も、石も水を吸って妙に重いのである。重みを持った空気。それでいてひんやりと晴れやかである。


 服にしみ込んだ心地よい水の感覚にいつまでも包まれていたい思いと同時に、衣服と一緒に引き裂いてやりたい衝動を覚える。

 

 霧が深い。手が届く範囲の外は何も見えない。灰色で埋め尽くされた視界。息をつけば灰色が身体の中に入り込んでくる。水が体内を冒してくる。太陽はまだ昇らない。方角がわからない。どこから来たのかももう分からなくなってしまった。何だか急に恐ろしくなって、立ち止まってしまった。


 深く深呼吸をして再び歩き出す。慎重に歩く。湿った草を踏む感触だけが鮮やかである。20歩ほど進むと、不意に霧の中から海亀ほどの大きさの石が現れた。人工的に削られ、加工されている。文字のようなものが彫られていることからして、墓石だろうか。どうやら私は墓場を歩いていたようだ。


 この墓場のどこかに父親が眠っている。三日ほど前である。私が殺して埋めた。


 父は殺されたがっていた。父はよく私に立派な人間になれと言った。だから私は父を超えることで自らの立派なことを示した。私の父も殺されて初めて、子の成長、世代の前進を示し得たのだ。父は私に殺されることによってようやく父になった。私なりの、父に対する愛である。

 

 鬼火が見える。私は再び立ち止まった。青白い、明滅する光たち。太陽ではない。まだ夜明けは、地面の下に眠っている。

 

 遠くに目を向けると、灰色の中にひときわ暗い部分が見える。人である。人影が見える。深い霧の中で、ぼんやりとこちらに向かって手を振る人たち。表情までは見えないが、彼らが微笑んでいることを私は知っている。

 

 目を凝らすと、顔がぼんやりと見えてきた。皆知っている顔である。姉さん、兄さん、母さん、友人たち。おおよそ私の世界を構成するあらゆる人たちがいる。皆私を見送りに来てくれたようだ。皆私を応援してくれている。父だけがいない。

 

 私はまた歩き出す。湿った草の感触を踏みしめる。灰色に埋め尽くされた視界を進む。身体は水に侵されきって、外界との区別がつかない。父だけがいない。私もいなくなる。太陽はまだ昇らないのだろうか。どこへ行くのかももう分からなくなってしまった。